人間ドックの出現と進歩

昭和の初め頃、日本は政治家にとっては命がけの時代でもあったと言われています。このころ、人間ドックを体験したとある政治家の「人間ドックは艦船がドライドックにて点検や整備を行い、乗組員に多少休養を取らせて次の航海に備えるのと同じようなもの」との趣旨の発言が新聞に掲載されたことがきっかけとなり、政治家が次々と医師の健診を受けるようになったようです。その後の太平洋戦争で多くの人が命を失い、都市の多くも廃墟となりましたが、復興が始まり、1944年になると様々な政治家が人間ドックの再開を要望したそうです。6日間の入院でたくさんの項目の検査を行うが、そのころの公務員の給料の四か月分で、庶民からはブルジョアジーのドックからブルドックともいわれていたそうです。人間ドックは政治家や金持ちが大部分を占め、病院は患者のためと反対した日本病院会の理事も多かったが、やがて健診と生活指導の時代が来ると言われてもいました。現在と項目数はさほど変わらないようですが、半数以上の項目は入れかわっているようです。今では超音波検査、デジタルX線検査、中性脂肪血症、糖尿病などドック健診は効果を上げ、診断精度、費用、時間が改善されて庶民にも手が届くようになり、大勢の方が受けられるようになっているのではないでしょうか。現在では一日ドックというものが主流ですが、半日ドックというものも登場しており、受診する人も増えているようです。これに学校健診や老齢健診、がん検診なども含めると、1000万人以上が何らかの健診を受ける予防大国になったと言えるでしょう。しかしその反面、健診はいいものからわるいものまであるのが実態であり、患者集め、金もうけ目的などと言われてしまうこともあるみたいです。自覚症状のない受診者が多いので、健康情報を秘密にしたいと思う人と向き合うためには十分な臨床経験が必要で人間ドックの担当医は十分な知識と経験が要求されるようになっています。